「くじけないこと」アルボムッレスマナサーラ著・角川書店を読んで
「うちの子は無事に大学を卒業して就職してくれるのかな」「老後を安心して過ごせるような年金がもらえるのかな」
「今は健康だけど 大病を患ったらやっていけるかしら」などの将来の不安。などなど。
ありふれた日常を過ごしているとは思うものの、将来への不安は限りなく襲ってきます。
ふとした瞬間に、将来への不安が頭をよぎって、一つでもダメだったら生活は成り立たないじゃないか、そんな不安で心がくじけてしまうことがあります。
「くじける」というのは、心が折れてしまうとか落ち込むとか、うつうつとした気分になってしまうのと、言葉が違うだけで気持ちはほぼ一緒だと思います。
最近そんな気持ちがまたよく襲ってくるようになったので、再び「くじけないこと」を 読んでみました。
くじけてしまう今の社会
私たちがくじけてしまう今の社会の あり方在り様を 、「アーティフィシャルな社会」「常に変化し続けている理念でできた社会」 と捉えて説明してくれています。
こういう社会の中では 誰もがくじけて当たり前、そんな風にまずは思わせてくれます。
ただ同じ社会のなかにあっても くじけない心を持つこともできるといいます。
それは今を生きるための知恵で ブッタの教えでもあります。
今を生きる知恵で心の軸を太くする
- どうに変えられないものは、当たり前のこととして受け入れる。
- 将来に不安を抱くでもなく期待するでもなく、今だけに生きる。
- 人生は綱渡りと知って落ち着いて生きる。
- 思考の中から私を捨てる。
- 自我を捨てれば円満な人間関係が成り立つ。
- 物事を客観的に見る。
といった 知恵のいくつかを教えてくれています。
どれもできそうなことではありますが、 自分を振り返って考えてみると 全くできていないことばかり。
例えば・・・自分が考え行動したことは自分で責任を持つのは当たり前ですが、 その結果がよくなかったとしても、そこにがみついて できなかった理由を他に探そうとして しまう。。。
これなどは 自分で出した結論に しがみついてしまっているということです。
自分の思い込みにしがみついた瞬間にくじけてしまうわけです。
「あーダメだった●●が悪いのよ」と。
どんなときもうまくいくとは限りませんよね、そしてくじけて落ち込んでしまいます。
たとえばこんな時 もっと客観的に自分の立場や考え方をとらえてみると良い訳です。
私たちがしているのは「仮の判断」
一度こだわって決めた判断は、最終的な判断ではないということ、 そう「仮りの判断」と捉えてみなさいと。
この判断が最終的な判断ではない、人間には最終判断ができない。
考えて、新たにまた考え方を修正すれば良いのです。とスマナサーラさんはいます。
ただそういう風に言われても不安が残ってしまいますよね、安心することもできないです。
そこですかさずスマナサーラさんがおっしゃることは、「 この世で何が完璧ですか、変わらないものなんか何かあるでしょうか。 不完全な自分が、不完全な知識で、不完全なデータに基づいて最終判断して安心するということはどういうことですか?」
「 人生はとりあえずの判断にしましょう、 これがくじけない方法です」
くじけない方法の結論の一つとして、スマナサーラさんはこのようにおっしゃっています。
本の中では、もっと詳しく多岐にわたって事例をあげて、 考え方や思い込みを少し変えることで、くじけない 心を 少しずつ強くしていく 方法と心の支援が書かれています。
このままで良いんだよというほったらかしの話ではなく 、くじけてはいけないという事でも無いのです。
「大きくくじけないようになる心の支え」「 もしくじけたとしても それを支えるもっと豊かな土壌を心の中に醸成していく考え方 」それを身につけて いけるようにという教えだと思います。
心の軸を太くして「くじけないようにする」、できなくはなさそうですが、とてもむつかしそう。
でもいい本に出合えたと思います。将来の不安が襲ってくるたびに、この本を思い出してみよう。
生きていくのはシンプルなこと、自分の課題をすすめるだけ。
この本の考え方を、何度もじっくり考えていけば、心の軸が次第に太くなっていくような気がする。
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